アンジェリーのアメリカ生活日記 NO.22 < MEETING FRIENDS DURING STAY AT TOKYO IN JULY TO AUGUST 2021 SECOND>
アンジェリーのアメリカ生活日記 NO.22
<友人とのミーティング 2021年7月から8月まで 2回目>
1-1、西城秀樹 <ブロウアップ 秀樹> の 映画
秀樹ファングループ(秀友グループと呼んでいる)のMさんに連れていってもらった狛江のASIAN CAFÉでは、秀樹さんファンたちが美味しい食事、コーヒーやデザートを食べながら、なつかしい秀樹さんの話題や最近の話をそれぞれ話したり、聞いたりすることが楽しくて、時々集まっています。
私の家からそのカフェまでとても近いです。時間があるとき、ランチやお茶をするために出かけました。そこに秀友グループの一人であるSさんがいたので、挨拶をかわしました。
週末に秋葉原でブロウアップ秀樹の映画を上映するとのこと。一緒に行きませんか。と誘われ、東京滞在中なのに、3回忌のイベントのキャンセルとなり、何かイベントでもあればいいのにな、とあったら参加したいと思っていたときでしたので、とても興味を持ちました。そこで行ってみることにしました。
この映画は1974年に西城秀樹さんが全国縦断コンサートツアーをしたときの映像ビデオです。すでにビデオが発売されているので、私は買って持っています。2年前の秀樹さん1周忌の豊洲イベントが開催されたときに、池袋の映画館で上映されたので、秀友グループのMAさんと一緒に鑑賞もしていました。
また、秋葉原に新しい映画館ができているとのこと、それも興味深かったのと、秀樹さんの映画を大きなスクリーンで観たいという強い思いがありました。そして、秀友グループの人たちと親しくできるチャンスだなと思ったからです。
まずは秋葉原の印象です。
私が子供の頃、秋葉原は電気街という町であったこと、とはすっかり変わっていました。一部は電気、パソコン関係エキスパートが集まる場所であるのは変わっていないようですが、高層ビルが立ち並び新しく発展する秋葉原の町に成長していたことに驚きました。秋葉原は以前から、アニメやゲームに夢中になる、おたく、と呼ばれる人たちが多く集まっていると聞いていました。その根強いブームは変わっていないのでしょうか?
次回東京にまた戻ったとき、友人たちに町の様子を聞いてみようかと思います。
さて、映画の話に戻ります。
映画は何度観ても、すばらしいと感じました。若き秀樹さんの魅力たっぷりの笑顔、姿、歌声、情熱的なステージの映像にすっかり私は釘付けになっていました。
秀樹さんはその1974年のコンサートの後、さらに大きく成長してダイナミックになっていきました。私たちに歌を通して夢と希望を与え続けてくれたこと、感謝したいと思います。
映画終了後、カフェによく集まっている秀友グループの人たちのCさん、Uさんも映画館に来場していました。その二人と合流し、Sさんと私の4人でランチを一緒に食べることにしました。
それからUさんが秀樹しばり(秀樹さんの歌をノンストップでカラオケで歌うことを意味するようです)、カラオケに行こうというので、私の車にみんなが乗り込み、前の日にCさんたちと行った同じカラオケまで行きました。
東京は非常事態宣言中なので、東京にあるカラオケのお店はクローズしているそうです。そのためお店がオープンしている神奈川県や地方などに行くことにしました。
カラオケで秀樹さんのヒット曲を含め、たっぷり3時間ほど歌を歌い、長い1日でしたが、楽しく過ごすことができました。
Uさんはとても声量があり素人とは思えないほどのパワフルな声で圧倒していました。
印象的だったのは、尾崎紀世彦さんの歌を力いっぱい歌ったことです。アウトスタンドでした。また聴きたいです。写真を撮りました。
CさんSさんもカラオケの歌い慣れをしているようで、たくさんの歌を知っていて、上手に歌っていました。Cさんの歌うアイドル歌手シリーズは良かったです。SさんのNHKの番組の主題歌、おかあさんといっしょでの歌はかわいくて、見とれていました。
秀樹さんがもし見ていたら、秀樹カンゲキと言ってくれていたでしょう。
1-2、カラオケ
ブロウアップ秀樹の映画を鑑賞しに行く前の日に、私はカフェに行きました。
すると、歌手のURさん、とその仲間、そして秀友グループのCさんが来ていて、秀樹さんの話題で盛り上がりました。
URさんがカラオケに行こうというので、カフェのオーナーさんたちを連れて全員で出かけることにしました。東京は非常事態宣言中なので、レストラン、カラオケなどの規制があります。そこで、カフェのある狛江から多摩川を渡れば神奈川県の登戸なので、カラオケができるとのこと。私の車、そしてURさんの車の2台で登戸まで行きました。
URさんは歌手で、歌のプロです。流石、誰もが認める歌声は最高でした。その声量も偉大で、秀樹さんの歌を何でもこなし、アクションも似ていました。URさんとその仲間Nさんとのハーモニーがすばらしかった秀樹さんの歌、<哀しみのSTILL>は思い出になるほどでした。
私が持っていたデジタルカメラでみんなが歌う姿のビデオを録画しました。
Cさんは秀樹さんのRAIN OF DREAMのロックをスムーズに歌っていました。女性なのに、あっぱれでした。
私は30年ぶりぐらいのカラオケでした。歌っている人たちの手拍子をうち、盛り上げました。しかしその後、プロの人たちを前に歌うのも恥ずかしかったのですが、秀樹さんの歌を歌ってみることにしましたーー。キーを合わせるのが難しく、まったくダメな私でした。
しかし歌うと気持ちいいなと思いました。
秀樹さんにはたくさんのすばらしい歌を残してくださったことに深謝しながら、みんなで一緒に歌うことができるという喜びを感じることができました。
アメリカ滞在の私にはカラオケに行くチャンスはないので、練習をすることができませんが、秀樹さんのビデオをよく観て研究をしておこうと考えています。
いつかまた東京に戻ったとき、彼らと一緒にカラオケに行ってみたいなと思っています。
2、狂言鑑賞
私の学習院初等科の同級生に伝統工芸の第一人者の野村家がいます。
彼は今では立派に大きく成長し今では野村万蔵氏、狂言師として大活躍しているそうです。
初等科同級生の親友智子さんからウイルスの関係でステージが延期になっていたけれど、今年の夏は狂言公演、ステージイベントを開催することになったとの連絡を受けました。
彼女はあいにく都合がつかないとのことでした。私は相続の関係で東京滞在が長くなっていたので、この機会を大事にしたいと考えて一人で出かけることにしました。
とても暑い日中の舞台鑑賞でした。チケットの受け取りもあったので、少し早めに能楽堂へ行き、会場内にあるレストランで軽い食事をとりました。
時間がきたので、席につくと、女子部の時の同級生が二人、Tさん、Mさんが応援に駆けつけていました。
2年前に行われた大学の同窓会で会って少しだけ会話をしたきりでしたので、とても懐かしかったです。そして会場内で会えたことは光栄でした。
狂言舞台の内容ですが、3つ作品があり、夏の季節にあったものでした。1つ目は伝統的な少しヘビーではありますが、わかりやすい農業の豊作を喜ぶ作品、<田植>でした。それを同級生野村くん、万蔵さんのお父様が演じました。
2つ目は<せみ>です。せみのゴーストという作品です。野村くんのお子様が仮面をかぶりせみのゴーストを演じました。子供時代に夏になると、せみの昆虫採集をしたことを思い出しました。
3つ目は<舟渡し>お客様を船で運ぶ、という作品です。お酒好きの船こぎに野村くんそしてその船に乗る人は彼のお子様が演じました。
川下りの軽快さと、お酒好きで酔っ払いを面白く演じる野村くんに大笑いしてしまいました。
狂言は少し難しい内容の作品が多いことは有名ですが、その中でも新しい時代に合ったわかりやすい作品を増やし、若者にも鑑賞してもらえるように、工夫しているそうです。
お客様を飽きさせないコメディーの入ったものなどは人気があると聞きました。
3時間半のたっぷりの舞台、狂言の舞に魅了されました。ファミリー舞台がとてもほのぼのしていて好感が持てました。
鑑賞後、野村くんの奥様にご挨拶をしました。彼女も同じ学習院の後輩だそうです。素敵なカップル、そして3人の男性のお子様に恵まれ、将来が楽しみです。野村くんにも今後の飛躍を期待し応援したいと思います。
野村くんの狂言舞台を鑑賞できたこと、そして女子部の同級生とすばらしい時を共有できたこと、夏の思い出の1ページになりました。鑑賞することができて、本当に良かったです。
智子さんには狂言公演イベントを教えてくださり、ありがとうとこの場でお礼を伝えたいです。